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スタジジオジブリの後継者問題

wikipediaによると…
https://ja.wikipedia.org/wiki/…

・そもそもスタジオジブリは、宮崎駿・高畑勲が監督する劇場アニメーション長編の制作を目的として設立された。
・なので、後継者が育ちにくい環境である。
・宮崎の後継者の確保はジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階から様々な試みがなされていた。

・近藤喜文監督作品『耳をすませば』が公開。同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知されジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。しかし、その近藤は1998年1月に47歳で病死してしまう。

・その後、育成だけではなく、外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、ジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。
・過去には『ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の押井守、『魔女の宅急便』で片渕須直、『ハウルの動く城』では東映動画から出向していた細田守の降板がある。
・また、劇場実写映画では『式日』の庵野秀明と、『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』の本広克行を製作しこちらは公開している。

・庵野秀明は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」と指摘。
・鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがないと発言。
・ジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにテレコムからベテランアニメーターの大塚康生を招いたが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」だった。
・近藤喜文はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人。
・『千と千尋の神隠し』の作画監督をした安藤雅司もまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、ジブリの方法論に従うだけの現状を疎んでいた。

・2009年頃からは、宮崎の主導による「スタジオジブリ経営5カ年計画」がスタート。
・最初の3年間は若手の起用(企画と脚本だけは宮崎が用意)、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプラン。
・この計画の第1弾としてジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が制作。
・第2弾として宮崎吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。
・『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎駿の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した。」とコメントを寄せている。宮崎駿・高畑勲は東映アニメーション出身、他の監督達も他社からの移籍であり純粋なジブリ出身の監督としては米林宏昌が初となった。

・『風立ちぬ』が制作され、宮崎駿は長編映画からの引退を発表。2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体された。
・以降の長編作品は、他のアニメ制作会社と同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットを監督に抜擢している。


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