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【宮崎駿】母をたづねて三千里ではやることがなかった。

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アルプスの少女ハイジが終わって、母をたづねて三千里をやった時のことを、宮崎さんが語っています。

ハイジは…生活アニメーションというか、日常を舞台にしたもの。日常を重視したもの。
日常に起こったひとつの出来事に主人公がどういう風に対応していくか…それがハイジのテーマだった。

そんな路線やったら視聴率なんて2〜3%じゃない?それなら4クールやんなくてすむ…なんて言ってたら、これが続いちゃった。
大ヒットだった。一時代を作くった。文芸路線の最初。これは高畑さんの功績だと思う。
ただ、それをやり続けるのはとてつもない非人間的なエネルギーが必要で、そりゃあもうムチャしました。床で寝てはい起きて、また書いて…という。

だからハイジで使い切っちゃった。
ハイジが終わった時に、次は動物モノでも気楽にやりたいね…お皿がどうのとか食事作法がどうのとか、そんなとこに突っ込むのはやめようって話していた。
しかし、結局、文芸路線が定着して、フランダースの犬があって、母をたずねて三千里をやることになってしまった。

僕らはもうテーマがないんです。
しょうがないから、異国の風俗、イタリアとかアルゼンチンの遅れた産業革命の激動する時代の雰囲気出せないか…と、そういうのにテーマを見出すしかなかったから、ひたすら辛い仕事になった。
ただ、高畑さんは、自分が作った路線なので、非常に体質にあうところがあったんじゃないですか。

とのことです。
あの練り上げられた仕事の裏にはこんな事情があったのですね。

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