千尋は湯婆婆に名前を「千」と変えられてしまう。
一見、なんでもないようだがこれはどういう意味があったのでしょうか?
宮崎監督はこんなことを言っています。
「名前を奪うという行為は、呼び名を変えるという意味ではなく、相手を完全に支配しようとする方法である。千は、千尋の名前を自分自身が忘れていくことに気づきゾッとする。」
湯婆婆は、単に名前を変えているのではなく、そこに働くものの隅々まで自分の力を行き渡らせる為にそうしている。それをよくわかっていてやっているのです。
名前を変えられた千尋も、千として生きていくうちに油屋の世界にどっぷりと溶け込んで行き、支配された生活にも慣れてしまう。
豚小屋に両親を訪ねて行っても、豚の姿になった両親を見ても平気になっていくのです。