NHKで2020年まで放映されていた「やまと尼寺精進日記」、番組を見た多くの人が「癒される」「何度でも見ることができる」「あの世界はファンタジー」と、とても人気がある番組です。
私も、全く同感で、現在再放送を全て録画して暇さえあれば見返しています。しかし、なんでこんなに面白いのでしょう?その魅力の秘密を分析してみたいと思います。
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やまと尼寺精進日記の面白さの秘密は、TVドラマ的な魅力
NHKのカテゴリーではドキュメンタリーに分類される「やまと尼寺精進日記」ですが、構成を見るとほとんどTVドラマです。魅力はそこに尽きると思います。ある日、これに気が付いた時「なるほど!」と全てが腑に落ちました。
TVドラマの構成と言えば…テーマ、ストーリー、エピソード、役者、BGM、ナレーション…ですが、これらの要素が「やまと尼寺精進日記」にもちゃんとあるのです。
テーマ
この番組のテーマは、精進料理を筆頭に、お寺や音羽の里の懐かしい田舎の暮らしを伝えることです。
精進料理は、お寺の周りに育っている山野草を取ってきたり、麓の村でもらってくる農作物を使って作り上げるもので、視聴者から見るととても新鮮な料理法であったり、こんなものが食べられるのか!という驚きの食材であったりします。
そして、お寺の日常も魅力的です。登場人物たちは、日々のお寺の生活を淡々とこなしているだけなのですが、その暮らし向きがとても面白い。薪ストーブを焚いたり薪を割ったり、奈良漬を漬け込んだり、畑に囲いをして鹿から山菜を守ったり、もらったお米を精米しに行ったり…です。また、お寺の行事である護摩焚き、大法会、地蔵盆や年越しの行事など音羽の里の人々との触れ合いが、今ではもうめずらしくとても懐かしく心地よいのです。
このような繰り返される素朴な日常は、見ていてとても癒されます。この癒しが番組の最大の魅力です。
エピソードとストーリー
ドキュメンタリーの枠を超えるものとしてあるのが、エピソードとストーリーです。
番組の中では、お寺での行事や音羽の里の人たちとの触れ合いが代わる代わる登場します。よく里の人が畑で採れた野菜を持ってきたり、本堂の障子を張り替えを手伝いに来る信者さんとか、地蔵盆の準備と当日の様子とか、慈瞳さんのお母さんが訪ねてきたり…します。こんな日常のエピソードは、ドキュメンタリーを超えて、どこか素朴な生活を描いたTVドラマのように見ることができるのです。
また、以前植えたこんにゃく芋をのちに掘り起こしたり、去年仕込んだ味噌を一年後に味見したり…色々なエピソードが伏線・回収されていくのも、見ていてとても楽しいです。こういうことがあると、今作っているハスの実はいつ数珠にするのかな…なんて想像も膨らみます。
役者
ここまでだと、お寺の暮らしを紹介しているだけなのですが、「やまと尼寺精進日記」ではもうひとつ大きな要素があります。それが役者(=登場人物)だと思います。毎回、決まったお寺・里の住人が登場するのですが、これが普通のドキュメンタリーとは違うところで、登場するみなさんがなかなかの役者なのです。
お寺の三人は、いつも賑やかで朗らか、笑いが絶えません(ここに魅力を感じている人も多いはず)。それぞれがドキュメンタリーの枠を超えてキャラの立った方々として登場していて、ご住職、慈瞳さん、まっちゃん、潤子さん、やっちゃん、オサム、スージー…と、まるでTVドラマでお気に入りの役者が役を演じているようです。だから見ている方もそれぞれに感情移入しながら番組を見ることができる…これがただのドキュメンタリーを超えた不思議な魅力になっているのだと思います。
また、お寺の三人それぞれのキャラクターもよく描写されていて、大らかで明るい慈瞳さんは包丁で細かく切るのが好きだったり、いつも賑やかなまっちゃんは絵が得意で消しゴムはんこを製作して役立てている、ご住職はいつもの決まり文句でオサムに餌を投げてあげる…などです。
ファンタジーとロケーション
twitterを見ていると見かけるのが、「あのファンタジーな世界…」です。「やまと尼寺精進日記」の世界をこう評しています。
これは、今では懐かしい人々の触れ合いや、見慣れないお寺の行事、笑いの絶えない人間関係を見てそう感じるのだと思うのですが、それには一つ条件があると思っています。それがロケーション。
番組で毎回登場するお寺へ行くための急な坂道。かなりの急な坂道で、1kmほどの坂道は大人でも小一時間かかるらしい。この急な坂道の先にあるやまとの尼寺・音羽山観音寺。下界とは切り離された山の上のお寺へ上がることで、そこではファンタジーのような出来事が起きている…番組が意図しないうちにそんな構図が出来上がっているのかもしれません。
BGMとナレーション
TVドラマ的には、実はこれがとても大きな要素である、BGMとナレーション。
やまと尼寺精進日記には3分と10分の短いバージョンがあるのですが、こちらにはBGMとナレーションがありません。しかし、BGMとナレーションが無いだけで雰囲気はガラッと変わっていて、あまり癒しの番組の雰囲気はありません。
しかし、BGMが加わることで番組全体がとても明るくなっています。BGMもほんとTVドラマのようなバリエーションで、ほのぼの、ほっこり、明るい、調子がいいもの…などどれも秀逸な選曲で番組の雰囲気をガラッと変えてくれます。
さらに、ナレーションの要素も大きくて、柄本佑さんのナレーションは抑揚があり楽しいもので安定感があり、番組の雰囲気を常に明るく保っています。いくら笑いあの絶えない三人といえどこのナレーション無しでは、淡々とお寺の暮らしを紹介するドキュメンタリーの枠を出られなかったのでは?と感じます。登場人物たちのキャラ付けは柄本さんのナレーションにかかっていると言ってもいいでしょう。
まとめ
このように、やまと尼寺精進日記の魅力はTVドラマのような構成要素にあるのでは?と思ったのでした。中でも、やはり登場したお寺の三人の朗らかなキャラクターが思いもよらず俳優のような機能を発揮しているところが、ドキュメンタリーを超えた魅力を生み出す根源にいなっているのだと感じました。とてもお稀有な番組だと思います。
今はもう、慈瞳さん、まっちゃんの二人は音羽山を降りてしまって、この番組を見ると本当にファンタジーだったのか?と寂しくなってしまうのですが、音羽山観音寺はまだそこにあるし、ご住職さんもまだお寺で暮らしている…そう思うと少し嬉しくなるのも確かなことです。